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羞恥心はどこへ消えた? [100番台]

羞恥心はどこへ消えた?

羞恥心はどこへ消えた?

  • 作者: 菅原 健介
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2005/11/16
  • メディア: 新書

ジベタリアンや電車内の化粧は、はたして恥ずかしいことか?

この本は、「恥ずかしい」という心理を研究している心理学者の本です。「恥ずかしい」も研究対象として考えると、実に奥深い面を見せてくれます。

まず注目されるのは、男性がレンタルビデオ屋でアダルトビデオを借りるときの態度です。かなり恥ずかしい行為ですが、これを研究・分析すると次のようになるのだそうです。

・隠蔽工作:他の客がいないときにカウンターに行く
・偽装工作:普通のビデオのコーナーも回る、アダルトビデオ以外にも興味があるように装う
・関与否認:アダルトビデオを連続して借りない
・他人行儀:店員にわざと無愛想に振舞う

これが隠蔽工作=他者の目、偽装工作=行為の露見、関与否認=人格への帰属、他人行儀=目撃者との関係性と恥ずかしさの理由となるポイントを見事に潰しているのだとか。だから、他者の目がなければそれほど恥ずかしいとは思わないけど、よく知った人がそこにいたらすごく恥ずかしいのです。よく、スーパーで買い物かごを下げて歩いているときに知り合いに会うのは相当恥ずかしいですが、これが他者の目なわけです。逆に旅先なら知っている人に会う可能性は限りなく低いので「旅の恥は掻き捨て」になります。

それでは地べたに座り込むジベタリアンや、電車の中での化粧はどうなのか?この本ではこれを「せまいセケン」の中で自分だけやらないと恥ずかしいと分析しています。ルーズソックスを履くことより、履かないでいることのほうが恥ずかしいと。「せまいセケン」が乱立しているために、恥ずかしいと思うかどうかが変わり始めているというのがこの本での見解となっています。なるほど、たしかにそのとおりかもしれません。

著者によると、恥ずかしいということは、どうやら人類の遺伝子に刷り込まれているようなもののようです。なぜなら、生まれつきの視覚障害者でも、恥ずかしいという表情を見せるのだとか。もし、後天的に獲得する(つまり見て学習する)のであれば、視覚障害者が恥ずかしい表情は見せないはずですが、誰から教わることなく、その表情をするのだそうです。恥ずかしいというのは、「羞恥心が警告を出す」ことにより、日常生活をスムーズにすごす手筈を提供してくれるもののようです。日常に潜む落とし穴(といっても、うっかりミスなど)を回避し、落ちてもそこから這い上がる手段を提供するのが「羞恥心」と著者は指摘しています。

ちなみに日本人だけでなく、外国人も恥ずかしいと思うことがあるそうです。もちろん、文化的、宗教的バックボーンの違いから日本人とは違う局面になることが多いらしいですが。


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